戦争の悲惨さを伝えようとする彼。

かつぼたつ沖縄

2010年06月21日 21:17

彼は
大田区の小学校で
教師をしてるそうです

多分その方は
東京生まれ東京育ち。

なのに沖縄の教師以上に
「沖縄」の悲惨な地上戦を
子供たちに伝え、

各地へも遠征をして
子供たちへ平和授業の一環として
活動しているそうです。

もちろん沖縄でも。です。


彼の締めくくりの言葉はいつでも
「軍は住民を守らない」
だそうです。




今年も慰霊の日がやってきます。
慰霊の日とは
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沖縄での戦闘は、6月23日未明に
第32軍の牛島司令官と長参謀長が
自決したことにより、組織的戦闘は
同日に終結したとされていますが、
その後も沖縄本島以外の各島や本島内でも
局地的には引き続き戦闘が行なわれており、
南西諸島守備軍代表が降伏文書に調印したのは、
9月7日のことです。
 この約3~5ヶ月の間の戦闘で亡くなった
日本兵及び一般住民の方々は、
一般住民約10万人を含め約20数万人といわれています
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牛島満司令官が自決した日が
慰霊の日と言うことになっています

牛島満が自決する時に言った言葉は
「最後の一人になっても戦え」・・・


この醜い戦争で亡くなった人は
8割が
6月以降に亡くなったことを考えると
牛島満の最後の判断が
大きな悲劇を生んだことに
異論を唱える人はいないでしょう。




東京生まれでありながら
平和授業をする彼も
そう思っているはずです。

彼の名は
牛島貞満

牛島満の孫です。


おじいちゃんの命日が
慰霊の日・・・
しかもその張本人。





牛島貞満さんの
生き方を最後まで
見てみたい。




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