2013年04月29日
ヌヌマチガマ
ヌヌマチガマの碑文が去年の慰霊の日に
新しく設置されたと聞いていましたが
新しくなってから一度も訪れてなかったので
今回時間を作って行ってきました。
とても整備されて壕の中にも入りやすくなっていました。
(「ヌヌマチガマ」とは戦時中、第一野戦病院分院として、
白梅学徒隊(県立第二高等女学校)3名を派遣し新城分院として開設されました。
壕は自然壕約500mの長さがあって、
西側の出入り口をヌヌチガマ、
東側の出入り口をガラビガマと呼びます。
野戦病院と言ってはいますが、
麻酔も薬も無い状態で負傷兵の手足を切断していました。
学徒隊は、血や膿、排泄物の匂いが立ち込める中で、
1,000名を越えるほどの患者の世話をしましたが
米軍が迫ってくると、
解散命令が出され、歩けない患者は「処置」と称して青酸カリを注射されました。)
新しく設置されたと聞いていましたが
新しくなってから一度も訪れてなかったので
今回時間を作って行ってきました。
とても整備されて壕の中にも入りやすくなっていました。
(「ヌヌマチガマ」とは戦時中、第一野戦病院分院として、
白梅学徒隊(県立第二高等女学校)3名を派遣し新城分院として開設されました。
壕は自然壕約500mの長さがあって、
西側の出入り口をヌヌチガマ、
東側の出入り口をガラビガマと呼びます。
野戦病院と言ってはいますが、
麻酔も薬も無い状態で負傷兵の手足を切断していました。
学徒隊は、血や膿、排泄物の匂いが立ち込める中で、
1,000名を越えるほどの患者の世話をしましたが
米軍が迫ってくると、
解散命令が出され、歩けない患者は「処置」と称して青酸カリを注射されました。)
この記事へのコメント
忘れえぬ記憶ですね。
Posted by 神人 at 2013年05月01日 12:22
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